幽栖寺について
宗派
浄土真宗本願寺派(本山-西本願寺)
寺院名
太元山 幽栖寺(たいげんざん ゆうせいじ)
住職
藤谷亜太可
幽栖寺の沿革について
京都山科における幽栖寺
幽栖寺は、山号を「太元山」と号し、天台宗の末寺として京都山科の地に開基された。
文明3年(1471年)7月、住職「蓮空」は本願寺第8世「蓮如上人」に帰依し、浄土真宗に改宗、本願寺末寺となる。その後代々継承して400有余年、第18代住職「誓入」にいたるが、誓入が後継ぎがないまま明治元年10月3日往生、以後20有余年廃寺同様の無住職寺院となっていた。
鹿児島県蒲生に移転開宗
明治9年9月5日、約300年にわたる薩摩の念仏禁制が解かれると、「暉峻普瑞師」が祁答院地方より山を越えて蒲生を通過するにあたり、説教法縁を結んだ。蒲生における浄土真宗説教の第一声である。ここにおいて、野町(現在の町下集落)の同行者が話し合い、「真信講」を結社し、同時に漆、西浦、新留、薄原等の同行と会議し、蒲生説教所建設の機運が高まっていった。
本堂は、明治12年秋に起工し、翌13年9月上旬に竣工。蒲生説教所の設立により、いよいよ浄土真宗が定着することとなった。ところが、寺号なき寺院は廃寺とされ、新寺号は許されないとの風評がたち、説教所は解散すべきかの重大岐路に立たされたが、京都山科に幽栖寺なる無住寺があるという情報が入り、これを譲り受けて明治22年10月10日、寺宝ご本尊ならびに親鸞聖人ご絵像と共に寺号移転の許可を得、ここに至り廃仏毀釈後蒲生における最初の寺院として「浄土真宗本願寺派幽栖寺」を公称した。
幽栖寺略年表
- 明治13年
蒲生説教所設立 - 明治22年
京都山科より寺宝本尊とともに寺号移転 - 明治23年
初岡俊浄師、第19代住職を継職 - 明治33年
佐賀県、教楽寺衆徒藤谷無一師第20代住職継職 - 大正15年
無一師三男恵了師、第21代住職継職 - 大正15年
本願寺鏡如上人御下向 - 昭和40年
親鸞聖人700回大遠忌法要 - 昭和41年
恵了師長男、浩瀁師第22代住職継職 - 平成10年
蓮如上人500回大遠忌法要 - 平成11年
- 第一無量寿堂完成
- 平成14年
浩瀁師長男、亜太可師第23代住職継職 - 平成21年
親鸞聖人750回大遠忌法要ならびに幽栖寺第23世住職継職奉告慶讃法要 - 平成31年4月
- 第二無量寿堂完成
- 令和5年11月
- 新本堂完成